ルカの福音書に記されているペテロの軌跡

毎日聖書の今日の箇所、ルカの福音書24章を読んで、12節に目が留まりました。

「11使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。 12しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。」(新共同訳)

「ペテロ」の方が私には馴染み深いので、ペテロと書かせてください。

ペテロはイエス様に選び出され、イエス様に最初からずっと一緒について来た人物。

丁度ルカの福音書だったから、ルカの始まりからペラペラーっとペテロの軌跡を辿ってみました。

こんな風に聖書を読み探るのも初めての経験です(^^)

ルカ5:3でペテロ登場!

ゲネサレト湖畔でイエス様の元へ群衆が押し寄せてきて、どうしようもなくなったイエス様の目に留まったのが、湖にあった2そうの舟。そのうちの1そうがペテロの舟だったんですね。話し終えたイエス様は、ここでは「シモン」と書かれているペテロに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われます。

ペテロはベテランの漁師。普通なら漁は朝早くにするんです。でも、その日は全く魚が捕れなかった。日が昇ってから漁をするなんて、常識はずれ!ないない!絶対ない!ってところを、この時のペテロさん、なんと、

「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と答えたっていうんです。

神様のご命令は時として『非常識』

でも、それは私たちのちっちゃな頭の中にある『常識』に対する『非常識』、あくまでこの世の中での『非常識』なんですねー。

それに対して神様のご計画は、私たちのちっちゃな頭では考えも及ばない、私たちの『理解』を遥かに超えたご計画なんです。

だから、この時のペテロの純粋な、従順な姿勢は、本当に私たちの学ぶべき、見倣うべき姿勢だと教えられます。

さらに 11節で、「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」とあるように、ペテロは両親も、妻や子供もいたのかしら?「すべて」を顧みないでイエス様に従う姿、またまた見倣いたいところです!!

その後6章12節で12弟子に選ばれ、9章1節では、イエス様に『権威』を与えられて福音宣教に派遣され、9章20節では、イエス様と以下のような問答があります。

20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」

ペテロの信仰告白ですね

そしてその8日後には9章28節、イエス様がペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて山へ登り、彼らはイエス様がモーセとエリヤと話しておられる姿を見ます。そこでペテロの不思議なはつげん!

「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。

新共同訳の「自分でも何を言っているのか分からなかった」って表現は面白い。別訳でも見てみました。

新改訳では「ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。」でした。

とにかく怖気付いて、でも目の前に起きている事態が凄すぎて、言葉にならなかったんでしょうね。何だかペテロさんに愛着が持てちゃいます

10章1節でまたもや72人に選ばれて派遣され、12章でイエス様が「目を覚ましている僕」の譬え話をされた時、41節でペテロが質問します。

41そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」

きっと、いつもイエス様の最前線で、語られる御言葉を聞き、行われる奇跡を見てきたんだろうなって思いますね。もう絶対信頼を置いて、いつ何時も離れるものか!という意気込みだったんじゃないかなぁと想像します。

18章28節では、イエス様とペテロの会話のやりとりが載せられています。

28するとペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。 29イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、 30この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

ただ家や妻、兄弟、両親、子供を捨てるんじゃないんですね。『神の国のために』捨てるんですね!そしてこのペテロこそ、まさしくそのような人生を歩んだと思います。何だかこの調子でペテロの手紙も読み深めたくなってきましたよ〜。

そして22章8節では、ペテロとヨハネに過ぎ越しの食事の準備を指示されるイエス様。続く31節がかの有名なペテロの人生大事件!ですね。

31「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。 32しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 33するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。 34イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」

からの、一部省略しますが、

60だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。 61主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。 62そして外に出て、激しく泣いた。

ですね!

これほどピッタリイエス様にくっついて、ありとあらゆる事柄を見て経験して、信仰を確信していたペテロのこの一件は見過ごせません。当に私たちの姿です。人間の弱さです。でも、そこに神様の憐れみ、十字架の救いが生きてくる。

パウロも弱さを誇りとしている箇所、ありましたよね(^^)(思い出せないので、また見つけた時にアップします。どなたかご存知の方がいらしたら是非!笑)

だから、この一大イベントは自分のこととして、何度も読み返したいところです。

以上がルカの福音書に取り上げられていたペテロの記載でした!

そして本題に戻ります。

十字架につけて葬られたイエス様が3日目に甦られたことを、婦人たちから耳にし、誰も信じない中ペテロ一人、墓に向かって駆けて行きます。この時のペテロの心情は如何に!?

あの大好きな、絶対信頼して3年半色々なところを共に歩いてきたイエス様。予告されていた通りに十字架につけられて殺された。3日目に甦るって、信じられないことが現実になったのか!?

会いたい、会いたい、会いたい!!!!

緊張と興奮と喜びと、色々な気持ちが入り混じっていたんじゃないかなって思います。

私たちも是非!ペテロのように聖書や祈り、生活を通して神様と近しく親しく歩み、神様の約束は絶対に成就するって確信を持ちましょう!そうすれば、歩みの中で、きっとこのペテロの希望を持って走り出す瞬間が与えられると思います。

今日はここまで。

私の自由気ままな聖書の学びにお付き合い下さり、ありがとうございました。

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